令和7年10月度

祈(き) 禱(とう) 抄(しょう 

(御書六三〇㌻一三行目~一五行目))

月(つき)を待(ま)つまでは灯を(ともしび)憑(たの)むべし。宝珠(ほうじゅ)のなき処に(ところ)は金銀(こんごん)も宝な(たから)り。白(はく)烏(う)の恩(おん)をば黒(こく)烏(う)に報(ほう)ずべし。聖僧(せいそう)の恩(おん)をば凡僧(ぼんそう)に報(ほう)ずべし。とくとく利生(りしょう)をさづけ給(たま)へと強盛に(ごうじょう)申(もう)すならば、いかでか祈(いの)りのかな(叶)はざるべき。

【通釈】

月が出るのを待つ間は灯火を頼りとする。宝珠のないところでは金銀も宝となる。白烏に恩を受けた者が黒烏にその恩を返したように、聖僧から受けた恩を凡僧に報ずるべきである。速やかに利生を授け給えと強盛に申すならば、どうして祈りの叶わないことがあろうか。

【主な語句の解説】

〇宝珠~金銀も宝なり

宝珠とは宝の玉のこと。宝珠がないときは、それより価値の劣る金銀であっても宝となるとの意。

〇白烏の恩~凡僧に報ずべし

天台大師の弟子・章安大師灌頂の『観心論疏』巻一に説かれる説話。昔、ある国の王が狩りの途中、毒蛇に襲われそうになった際、白烏がその危険を知らせて王の命を救った。後に王はこの時の白烏に恩返しをしようと所在を探したが見つけることができず、代わりに黒烏に施しを与えて白烏の恩に報いたというもの。これを本抄では、法華経を説いた釈尊を白烏とし、法華経によって成仏の境界を得た諸菩薩・人天・八部等が、その恩を黒烏、すなわち凡僧である末法の法華経の行者に報ずることに譬えている。

※ 総本山第六十六世日達上人は、黒烏・凡僧を謗法者にあて、折伏をもって報恩とする解釈を度々示されている(達全二輯二巻・富士学報創刊号参照)。

〇利生

仏が衆生を利益すること。また、仏が衆生を救うこと。利益衆生。