2021年11月15日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第三節 信仰を持たない人へ 3-15 無神論ではなぜいけないのか 無神論とは、信仰の対象たいしょうとなる神や仏などの絶対的存在そんざいの事実と可能性かのうせいを否定ひていする考えで、「無信論」と書く場合もあります。無信論といっても、信用とか信頼しんらいなどの日常生活上の心理しんり作用さ […]
2021年11月14日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第三節 信仰を持たない人へ 3-14 道徳さえ守っていれば宗教の必要はない 道徳とは現実の社会に、善良ぜんりょうな人間として生きて行くために、みずからを律りつし、たがいに守るべき社会的な規範きはんをいいます。 したがって社会生活上の正と不正・善と悪などの分別ふんべつを心得えて、みずからの良心にも […]
2021年11月13日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第三節 信仰を持たない人へ 3-13 人生の幸福とは努力以外にない 人生にとって、努力はきわめて大切なものです。なんの努力もせずに、幸せな人生を築きずけるはずはありません。 しかしながら、努力といっても、ただ自分の思いつきで、がむしゃらに何事なにごとにも挑戦ちょうせんさえすればよいという […]
2021年11月12日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第三節 信仰を持たない人へ 3-12 宗教を持たなくても幸福な人はたくさんいるのではないか 幸福という概念がいねんは、人によっていろいろなとらえかたがあるようです。一般には、健康とか、家庭円満とか、金銭的に恵まれているといったように、いわゆる、運がよく幸しあわせなことや、心が満ちたりて楽しい状態にあることを指し […]
2021年11月11日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第三節 信仰を持たない人へ 3-11 自己の信念を宗教としている 人は誰だれでもなんらかの信念を持って生きています。それも人生全般に関かかわる信念もあれば、人生の部分に対する信念もあります。 たとえば「宵越よいごしの金は持たない」という人もいれば、「無駄むだ遣づかいはしない」という人も […]
2021年11月10日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第三節 信仰を持たない人へ 3-10 現実生活をさげすみ、偽善的態度をとる宗教者がきらいだ 世間の数多い宗教家といわれる人の中なかには表面はいかにも聖職者せいしょくしゃらしく、俗界ぞっかいを超越ちょうえつした仙人せんにんか生き仏のように振ふる舞まい、世俗せぞくの人々を見下みくだした態度をとる人がいます。 とくに […]
2021年11月9日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第三節 信仰を持たない人へ 3-9 宗教が社会に評価されるのは福祉活動だけではないか 「福祉」という言葉は、〝幸福〟の意味ですから、広くいえば宗教の目的とも考えられます。しかし、ここでいう「福祉」は、困窮こんきゅうしている人に物を恵めぐみ、飢うえた人に食しょくを与え、不自由な人の手助けとなり、なぐさめると […]
2021年11月8日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第三節 信仰を持たない人へ 3-8 宗教は思考をマヒさせ、人間を無知にするのではないか 宗教を信ずると、その宗教に没頭ぼっとうするあまり冷静れいせいな思考しこう能力や批判ひはん力、判断はんだん力がマヒして、自分なりの理性を持もてなくなるのではないか、という危惧きぐをもつ人がいます。 たしかに、なんらの教義を […]
2021年11月7日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第三節 信仰を持たない人へ 3-7 いまが楽しければそれでよいではないか 「いまが楽しければ」という言葉のひびきには、まったく将来しょうらいのことを考えず、苦しみを避さけて、いまの楽しみばかりを追い求もとめるというニュアンスが感じられます。 それは、おそらく、若いときの楽しみは若い時にしか味わ […]
2021年11月5日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第三節 信仰を持たない人へ 3-5 現実生活の幸福条件はお金が第一ではないか 私たちが日常生活を営いとなむうえで、衣・食・住の全般ぜんぱんにわたってお金がたいへん重要で便利な役割やくわりを果はたしています。物品ぶっぴんの価値かちがお金に換算かんさんできることはもちろん、人間や機械の労力・能力そして […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第三節 信仰を持たない人へ 3-4 「さわらぬ神にたたりなし」で、宗教に近づかない方ほうがよいと思うが 「さわらぬ神にたたりなし」」とか「参まいらぬ仏に罰ばちは当たらぬ」ということわざは、信仰とかかわりを持もたなければ、利益りやくも罰も受けることはないとの意味ですが、一般には広くなにごとも近づかなければ無難ぶなんであるとい […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第三節 信仰を持たない人へ 3-3 宗教は精神修養にすぎないのではないか 精神修養せいしんしゅうようとは、精神を錬磨れんまし品性ひんせいを養やしない人格じんかくを高めることですが、一般には心を静しずめ精神を集中することをいうようです。 芸術やスポーツなどを通とおして精神を磨みがき、人格を高める […]
2021年11月2日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第三節 信仰を持たない人へ 3-2 現実に神や仏がいるとは思わない 初はじめに、神についていいますと、キリスト教やイスラム教で立てる天地てんち創造そうぞうの神ゴッドやアラーは、予言者と称しょうされるキリストやマホメットが経典きょうてんに説示せつじしただけのことで、現実にこの地上に姿すがた […]
2021年11月1日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第三節 信仰を持たない人へ 3-1 宗教の必要性を認めない 宗教を否定し、信仰の必要性を認めないという人の中には、感覚的に信仰を嫌きらう人もあれば、今までまったく無関心に生きてきたことによって、その必要性に気づかない人もあることでしょう。 しかし、ほとんどの人々は自分なりの信念を […]