2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-15 邪宗という呼び方が気に入らない 邪宗という言葉は、日蓮正宗の人が、やみくもに他宗を攻撃こうげきするために勝手に使っているのではありません。 釈尊は法華経に、 「正直しょうじきに方便ほうべんを捨すてて但ただ無む上道じょうどうを説く」(方便品第二・開結12 […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-14 歴史のある有名な神社やお寺の方がありがたいと思うが 奈良や京都の歴史的に名高い神社や寺々は、今もなお多くの観光客が訪おとずれています。 たしかに年月を経へた建物や、静かな庭園のたたずまいには、いかにも心をなごませる落ち着いたふんい気があります。 しかし、よくよく考えてみな […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-13 信仰は必要なときだけすればよいのではないか 〝信仰を必要とする時〟とは、どのような時を指さすのでしょうか。苦境くきょうに立ってわらにもすがりたくなる時なのでしょうか。それとも慣例的かんれいてきに神社仏閣ぶっかくに参詣さんけいする正月や盆、彼岸ひがんを指すのでしょう […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-12 信仰の自由は憲法でも保障されているのだから、なにを信じてもよいはずだ 日本国憲法の第二十条に、 「信教しんきょうの自由は、何人なんびとに対してもこれを保障する」 と、明確に信教の自由が保障されています。 この条目は、かって古代、中世より近世にいたる長い国家権力による、宗教統制とうせいの歴史 […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-11 自分は先祖の位牌を祭っているので、それで充分だ 位牌いはいとは昔むかし中国において、存命ぞんめい中ちゅうに受けた官位かんいや姓名せいめいを記しるした木牌もくはいに始まるといわれています。 日本では、葬儀そうぎのときに白木しらきの位牌に法名ほうみょう、俗名ぞくみょう、死 […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-10 自分の気に入った宗教が一番よいと思う 近年、世間を騒がせたオウム真理教の信徒たちは、麻原教祖に洗脳されて、ある者は殺人者となり、ある者は見せしめのために殺されました。 またアメリカにおいては、人民寺院を標榜ひょうぼう(主張)する新興宗教の教祖の教えによって、 […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-9 先祖が代々守ってきた宗教を捨てることはできない だれしも先祖代々長く守ってきた宗教に愛着あいちゃくがあり、その宗しゅう旨しを捨てることは先祖の意に背そむくように思い、一種の恐れのような感情を抱いだくのは、無理からぬことです。 しかし、先祖がいったい、どうしてそうした宗 […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-8 他の宗教によって現実に願いがかなったので信じているが 日蓮正宗以外の宗教を信じ、〝商売がうまくいった〟とか、〝病気が直なおった〟という人がいます。また日蓮正宗に入信しても、初めは周囲の反対や人間関係などで苦労する人もいるかもしれません。 しかし、正しい仏法とは私たちに正しい […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-7 他の宗教で幸福になった人もいるのではないか 私たちの周囲には、さまざまな宗教や信仰によってそれなりの幸せを感じて暮くらしている人もいるようです。 しかし人は幸福そうに見えていても、その実体じったいはわからないものです。 外見がいけんは大邸宅だいていたくに住み、社会 […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-6 先祖を崇拝することがまちがっているのか 先祖を敬うやまい、崇あがめることは、仏法の教義に照てらして、決してまちがいではありません。むしろ人間としてたいへん立派りっぱな行為こういといえます。 しかし先祖を神として祭まつったり、「仏」と呼んで祈願や礼拝らいはいの対 […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-5 仏教はすべて釈尊から出ているのだから、どれを信じてもおなじではないか 今から三千年前にインド北部のカピラ城の王子として誕生たんじょうした釈尊は、十九歳のとき修行者となり、三十歳の時にガヤ城の近くで悟さとりを開きました。その後八十歳で入滅するまで五十年の間、人々に悟りの法を教えるためにさまざ […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-4 どんな宗教にも、それなりの利益があるのではないか すべての宗教かどうかはわかりませんが、低級宗教や教義もないような宗教、あるいは宗教ともいえない精神統一などにも一分いちぶんの利益というべき結果が見られる場合があります。人によってはこの一分の結果や様相ようそうが御ご利益り […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-2 宗派は分かれているが、到達する目的はおなじではないか 宗派は別でも宗教の目的は同じなのだから、どの宗派でもよいのだ、と主張する人の中には、「分わけ登のぼる麓ふもとの道は多けれど同じ雲井くもいの月をこそ見れ」という歌を引き合いに出すことがあります。しかし、これはあくまでもひと […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-3 どんな宗教にもよい教えが説かれていると思うが これについて二点から考えてみましょう。 その第一は、教義の善よし悪あしとは何なにによって決められるかということであり、第二には宗教とは観念的かんねんてきな理論のみではなく、実践じっせんがともなうものであるということです。 […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-1 神仏を礼拝することが尊いのであるから、何宗なにしゅうでもよいのではないか 宗教に限かぎらず、人間にとって敬うやまい、信ずるということは大切なことです。日常生活においても信頼する心がなかったならば、食事もできませんし、乗のり物ものはおろか、道を歩くことも、家に住むことさえできないでしょう。 では […]