2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第四節 迷信・俗信・占いなどを信じている人へ 4-7 家相・墓相について知りたい ここでいう家相・墓相は家や墓の位置いち・方角ほうがく・構造こうぞうなどから、その吉凶きっきょうや住む人の幸・不幸を占うらなうという意味であろうと思いますが、その因果いんが関係かんけいや科学的根拠こんきょはまったくありませ […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第四節 迷信・俗信・占いなどを信じている人へ 4-6 人相・手相などはどのように考えるべきか 人相にんそう術じゅつや手相てそう術じゅつは今から数千年前に、古代インドに発祥はっしょうしたといわれています。 私たちの目に写る姿すがた、形かたちの特徴とくちょうから過去のできごとや、将来の吉凶きっきょうを判断はんだんする […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第四節 迷信・俗信・占いなどを信じている人へ 4-5 念力とはなにか 「念力岩いわを通とおす」ということわざがありますが、一般には念力といえば、心をひとつにして願うことによって、他者たしゃに対して特別な力を発揮はっきすることを指しています。 ひところいかがわしい念写ねんしゃやスプーン曲まげ […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第四節 迷信・俗信・占いなどを信じている人へ 4-4 超能力を信ずることは宗教なのか 一般的に超能力とは、普通の人間の五官ごかんではなしえない力を指さしていいますが、本来十界じっかいの生命を備そなえている人間が、周囲の縁えんや修練しゅうれんによって、特別な能力を持ったとしても少しも不思議ふしぎではありませ […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第四節 迷信・俗信・占いなどを信じている人へ 4-3 霊媒に頼ってよいのか 霊媒れいばいは人間と死者の霊を媒介ばいかいする者で、わが国では青森県恐山おそれざんの〝いたこ〟が有名です。 この〝いたこ〟は依頼者いらいしゃの求めに応じて神がかりとなり、口寄くちよせによって死者の思いを伝えたり、その心を […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第四節 迷信・俗信・占いなどを信じている人へ 4-2 悪霊のたたりはあるのか 私たちの生命は永遠であり、生といい死といっても、それは同じ宇う宙ちゅう法界ほうかいの生命体の中にあって、一個の生命体として生ずる時と、死して法界に冥伏みょうぶくするときの違ちがいがあるにすぎません。 かつて、人々は不幸や […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第四節 迷信・俗信・占いなどを信じている人へ 4-1 霊をどのように考えるか 霊というと、すぐ幽霊ゆうれいとか悪霊あくりょうなどを想像し、霊媒れいばい・心霊しんれい術じゅつなどが頭に浮かんできますが、はたして霊は存在するのか、また死後の生命はいったいどうなるのか、私たちには興きょう味みのあるところ […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第三節 信仰を持たない人へ 3-4 「さわらぬ神にたたりなし」で、宗教に近づかない方ほうがよいと思うが 「さわらぬ神にたたりなし」」とか「参まいらぬ仏に罰ばちは当たらぬ」ということわざは、信仰とかかわりを持もたなければ、利益りやくも罰も受けることはないとの意味ですが、一般には広くなにごとも近づかなければ無難ぶなんであるとい […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-15 邪宗という呼び方が気に入らない 邪宗という言葉は、日蓮正宗の人が、やみくもに他宗を攻撃こうげきするために勝手に使っているのではありません。 釈尊は法華経に、 「正直しょうじきに方便ほうべんを捨すてて但ただ無む上道じょうどうを説く」(方便品第二・開結12 […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-14 歴史のある有名な神社やお寺の方がありがたいと思うが 奈良や京都の歴史的に名高い神社や寺々は、今もなお多くの観光客が訪おとずれています。 たしかに年月を経へた建物や、静かな庭園のたたずまいには、いかにも心をなごませる落ち着いたふんい気があります。 しかし、よくよく考えてみな […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-13 信仰は必要なときだけすればよいのではないか 〝信仰を必要とする時〟とは、どのような時を指さすのでしょうか。苦境くきょうに立ってわらにもすがりたくなる時なのでしょうか。それとも慣例的かんれいてきに神社仏閣ぶっかくに参詣さんけいする正月や盆、彼岸ひがんを指すのでしょう […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-12 信仰の自由は憲法でも保障されているのだから、なにを信じてもよいはずだ 日本国憲法の第二十条に、 「信教しんきょうの自由は、何人なんびとに対してもこれを保障する」 と、明確に信教の自由が保障されています。 この条目は、かって古代、中世より近世にいたる長い国家権力による、宗教統制とうせいの歴史 […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-11 自分は先祖の位牌を祭っているので、それで充分だ 位牌いはいとは昔むかし中国において、存命ぞんめい中ちゅうに受けた官位かんいや姓名せいめいを記しるした木牌もくはいに始まるといわれています。 日本では、葬儀そうぎのときに白木しらきの位牌に法名ほうみょう、俗名ぞくみょう、死 […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-10 自分の気に入った宗教が一番よいと思う 近年、世間を騒がせたオウム真理教の信徒たちは、麻原教祖に洗脳されて、ある者は殺人者となり、ある者は見せしめのために殺されました。 またアメリカにおいては、人民寺院を標榜ひょうぼう(主張)する新興宗教の教祖の教えによって、 […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-9 先祖が代々守ってきた宗教を捨てることはできない だれしも先祖代々長く守ってきた宗教に愛着あいちゃくがあり、その宗しゅう旨しを捨てることは先祖の意に背そむくように思い、一種の恐れのような感情を抱いだくのは、無理からぬことです。 しかし、先祖がいったい、どうしてそうした宗 […]