4-7 家相・墓相について知りたい

ここでいう家相・墓相は家や墓の位置いち方角ほうがく構造こうぞうなどから、その吉凶きっきょうや住む人の幸・不幸をうらなうという意味であろうと思いますが、その因果いんが関係かんけいや科学的根拠こんきょはまったくありません。まして今日のように住宅事情が思うようにならない状況じょうきょうで、台所はどの方角に作ってはいけないとか、トイレはどの位置、玄関は何きといったところで、それらの条件をすべてたすことなど不可能ふかのうなことです。

たとえば、南側に道路のある土地に、北向きの玄関の家をつくるようにいわれても、とうていできないことです。むしろこのような現状を無視むしした考えで家相・墓相をとやかくいうこと自体じたいがおかしなことなのです。

たしかに新しい家をてる場合、その地形ちけい方角ほうがく通気性つうきせいなど、それぞれの生活用途ようとに応じた構造を考えなくてはなりません。しかしこれは設計せっけいじょう当然のことであって、あらためて家相をもちだすまでもありません。

世の中には、うらな凶相きょうそうと判断する家や墓地を持った人は、大ぜいいると思いますが、その人たちすべてが不幸になったという話はいまだかつて聞いたことはありません。それよりも占いの言葉を信じたために、かえって不安な毎日を送る場合のほうが多いのです。このような迷信めいしんは知る必要もなければ気にする必要もないのです。

仏法には「しょう不二ふに」ということが説かれています。これは簡単にいうと、正報しょうほう(中心)となる人間と、それをとりかこみ、正報によって影響される依報えほう環境かんきょう世界)とが一体だといことです。これは正報たる人間があくまでも中心になるということですから、いかに立派りっぱ御殿ごてんのような家でも、中に住む人が掃除そうじがきらいならばよごれた家になるでしょうし、方角が悪いといわれる家でも福徳のある人が住むならば家も安泰あんたいとなり、正法をたもつ人が住む家ならば信心によって常寂光土じょうじゃっこうどの家ともなるわけです。

これについて日蓮大聖人は、「衆生しゅじょうの心けがるればもけがれ、心清ければ土も清しとて、じょうと云ひ穢土えどと云ふも土に二つのへだてなし。ただ我等が心の善悪ぜんなくによると見えたり」(一生成仏抄・御書46㌻)とおおせられています。所詮しょせん家や墓などは正報たる私たちの心や人格がそのまま反映はんえいする依報の一分いちぶんなのです。

私たちが福徳を身にそなえ、正法をしっかり護持ごじし、精進しょうじんするとき、はじめて依正ともに成仏の境界きょうがいに至るのです。

出典:「正しい信仰と宗教」から転載