3-13 人生の幸福とは努力以外にない

人生にとって、努力はきわめて大切なものです。なんの努力もせずに、幸せな人生をきずけるはずはありません。

しかしながら、努力といっても、ただ自分の思いつきで、がむしゃらに何事なにごとにも挑戦ちょうせんさえすればよいというものではありません。

たとえば、これから書道を習おうとするとき、立派りっぱな先生について、修練しゅうれんと努力を重ねる人は、着実ちゃくじつに進歩することでしょう。

しかし、を求めず、自分の才能さいのうと、自分の信念で努力さえすればよいといって、ただ毎日書きなぐっているだけでは、上達じょうたつすることはできません。

このように、その努力をより価値かちあるものに実らせるためには、き指導者の正しい教導きょうどうしたがって努力してこそかなうのです。

ましてや意義ある人生、幸せな家庭、人生の充実した喜びを持つためには、その基本となる人生についての、最大にして最高の指導者である仏の教導にれるということが大切です。

私たちは人生の土台となる根もとに、真実の師である仏の教えをたもち、その上にみきとなる自分自身の人格と人間性をみがきつつ、努力と精進しょうじんかさねる時、はじめて緑したたる大樹たいじゅへと成長するのです。

日蓮大聖人は、

蒼蠅そうよう驥尾きびして万里ばんりを渡り、碧蘿へきら松頭しょうとうかりて千尋せんじんぶ」(立正安国論・御書243㌻)

おおせられています。すなわち、青ばえのような小さな虫でも、駿しゅんにつくことによって万里ばんりせ、つる草も松の大木にかかることによって、天高くのびていくことができるのです。

このように私たちもいかなる道をあゆもうとも、正しい信仰を根本として努力を重ねるならば、正法の功力くりきによって福徳ふくとくの花がき、その努力が大きなむすび、真実の幸せな生涯しょうがいをまっとうすることができるのです。

出典:「正しい信仰と宗教」から転載