2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-8 他の宗教によって現実に願いがかなったので信じているが 日蓮正宗以外の宗教を信じ、〝商売がうまくいった〟とか、〝病気が直なおった〟という人がいます。また日蓮正宗に入信しても、初めは周囲の反対や人間関係などで苦労する人もいるかもしれません。 しかし、正しい仏法とは私たちに正しい […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-7 他の宗教で幸福になった人もいるのではないか 私たちの周囲には、さまざまな宗教や信仰によってそれなりの幸せを感じて暮くらしている人もいるようです。 しかし人は幸福そうに見えていても、その実体じったいはわからないものです。 外見がいけんは大邸宅だいていたくに住み、社会 […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-6 先祖を崇拝することがまちがっているのか 先祖を敬うやまい、崇あがめることは、仏法の教義に照てらして、決してまちがいではありません。むしろ人間としてたいへん立派りっぱな行為こういといえます。 しかし先祖を神として祭まつったり、「仏」と呼んで祈願や礼拝らいはいの対 […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-5 仏教はすべて釈尊から出ているのだから、どれを信じてもおなじではないか 今から三千年前にインド北部のカピラ城の王子として誕生たんじょうした釈尊は、十九歳のとき修行者となり、三十歳の時にガヤ城の近くで悟さとりを開きました。その後八十歳で入滅するまで五十年の間、人々に悟りの法を教えるためにさまざ […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-4 どんな宗教にも、それなりの利益があるのではないか すべての宗教かどうかはわかりませんが、低級宗教や教義もないような宗教、あるいは宗教ともいえない精神統一などにも一分いちぶんの利益というべき結果が見られる場合があります。人によってはこの一分の結果や様相ようそうが御ご利益り […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-2 宗派は分かれているが、到達する目的はおなじではないか 宗派は別でも宗教の目的は同じなのだから、どの宗派でもよいのだ、と主張する人の中には、「分わけ登のぼる麓ふもとの道は多けれど同じ雲井くもいの月をこそ見れ」という歌を引き合いに出すことがあります。しかし、これはあくまでもひと […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-3 どんな宗教にもよい教えが説かれていると思うが これについて二点から考えてみましょう。 その第一は、教義の善よし悪あしとは何なにによって決められるかということであり、第二には宗教とは観念的かんねんてきな理論のみではなく、実践じっせんがともなうものであるということです。 […]
2021年11月4日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第二節 他の信仰をしている人へ 2-1 神仏を礼拝することが尊いのであるから、何宗なにしゅうでもよいのではないか 宗教に限かぎらず、人間にとって敬うやまい、信ずるということは大切なことです。日常生活においても信頼する心がなかったならば、食事もできませんし、乗のり物ものはおろか、道を歩くことも、家に住むことさえできないでしょう。 では […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-15 信仰はなぜ必要なのか 一般に信仰とは、お年寄りが一種の精神修養や先祖を敬うやまいつつ、なごやかな楽しみの場を持つために、お寺へ参詣さんけいし、時には団体旅行をすることぐらいの認識にんしきしか持ち合わせていない人が多いようです。 あるいはまた困 […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-14 信仰をしなくても立派な人がいるではないか まず「立派りっぱな人」とはどういう人を指さすのでしょうか。 一般に「立派な人」という場合は、社会的に指導的地位にある人、名誉めいよのある人、財ざいをなした人、学識がくしき豊かな人、福祉ふくし活動や救済事業に貢献こうけんす […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-13 利益や罰はその人の心の持ち方によるのであって、客観的にあるものではない 人間の幸福と不幸を、線を引いて区分くぶんすることはできません。まったく同じ条件のなかにあって、ある人は自分は不幸だと思う人もいれば、別な人は自分は幸福だと思う場合もあります。ひとつの結果を利益とみるか、罰とみるかはその人 […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-12 現在は信仰するほどの悩みはない、いまの生活で満足だ 「信仰するほどの悩なやみはない」という言葉は、言い換かえると「悩みのない人は信仰の必要がない」ということであり、信仰を正しく理解していないようです。 仏様がこの世に出られた目的は、仏知見ぶっちけんすなわちいかなるものにも […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-11 宗教は狂信、盲信のすすめではないか ここでいう「狂信きょうしん」とは、理性りせいを失い我われを忘れて狂ったように信ずることであり、「盲信もうしん」とは、ひとつの信仰に埋没まいぼつし、わけもわからずむやみに信ずることです。 この狂信・盲信について三つの点から […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-10 信仰をしていても悪い人がいるのではないか 信仰していない人は、よく「信仰をしていても、こんなに悪い人がいるから信仰する気にならない」と言います。 「悪い人」といっても、悪い考えに染そまった人、悪い癖くせを持った人、自分で気付かずに悪業あくごうを犯おかす人などさま […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-9 信仰は老人がするものではないのか 「信仰は年寄としよりがしていればよい」という意見には、信仰に対する無理解むりかいと老人に対する偏見へんけんが潜ひそんでいるように思われます。 正しい信仰が人生にもたらす作用はさまざまなものがあります。その中の主なものを挙 […]