2021年11月7日 / 最終更新日時 : 2021年11月7日 日蓮正宗 真徳寺 2、破釈の要点 2-7<事の戒壇は天母山に立つべし> 顕正会のいう天母山戒壇説は、京都要法寺の方から入ってきた義であって、大石寺にはもともとなかったものである。 これについて第66世日達上人は、 後世、天母山という説が出てきました。しかし、もっと古い日興上人や日目上人や日時 […]
2021年11月7日 / 最終更新日時 : 2021年11月7日 日蓮正宗 真徳寺 2、破釈の要点 2-6<顕正会員の勧誘方法> 顕正会の勧誘方法は非常識極まりないものである。例えば、学校の卒業者名簿を利用して無分別に電話し、相手と会えた時には、相手が嫌がろうと何時間でもねばって帰ろうとしない。また、夜の駅前などでグループを作り、通行人に声をかけ、 […]
2021年11月7日 / 最終更新日時 : 2021年11月7日 日蓮正宗 真徳寺 2、破釈の要点 2-5<浅井の予言について> 浅井は顕正会の会合で、しきりに「今に地震が起こる」とか、「今に戦争が起こる」とか、「北東アジアが攻めてくる」などと予言めいたことをいい、会員の危機感を煽る。そして予言が外れると幹部に「浅井先生が災いをくい止めた」といわせ […]
2021年11月7日 / 最終更新日時 : 2021年11月7日 日蓮正宗 真徳寺 2、破釈の要点 2-4<顕正会が掲げる本尊> 昭和60年3月15日号の顕正新聞に次のような記事が掲載されている。「松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた大幅の常住御本尊7幅と、日寛上人の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。この7幅の常住御本尊 […]
2021年11月7日 / 最終更新日時 : 2021年11月7日 日蓮正宗 真徳寺 2、破釈の要点 2-3<顕正会の「広宣流布以前、本門戒壇の大御本尊まします処は義の戒壇である」との説について> 顕正会は、「三大秘法のうちの本門の戒壇は、広宣流布の暁に初めて建立されるものであり、それ以前に大御本尊が安置せられる場所は、その意義が本門事の戒壇に通じるだけであって、本門事の戒壇とはいえない。したがって、『大御本尊まし […]
2021年11月7日 / 最終更新日時 : 2023年2月18日 日蓮正宗 真徳寺 2、破釈の要点 2-2<事の戒壇建立の時期・手続・場所について> 顕正会は『一期弘法抄』の、「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(新編1675)、また、『三大秘法抄』の、「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、 […]
2021年11月7日 / 最終更新日時 : 2021年11月7日 日蓮正宗 真徳寺 2、破釈の要点 2-1<事の戒壇は国立戒壇> 「国立戒壇」という名称は御書にはない。この名称をはじめて使用したのは、明治時代の立正安国会(後の国柱会)の創始者であった田中智学(ちがく)である。智学は国粋主義者で、当時の時代風潮に乗って、国立戒壇の名称を用いた。この頃 […]
2021年11月7日 / 最終更新日時 : 2023年2月18日 日蓮正宗 真徳寺 1.沿革 1-6<主な主張> 事の戒壇は、国立戒壇である。 事の戒壇は、天皇の発願による。 事の戒壇は、天母山に建立する。 広宣流布以前は、本門戒壇の大御本尊安置の場所は義の戒壇である。 遥拝(ようはい)勤行。 出典:諸宗破折ガイド169-177/宗 […]
2021年11月7日 / 最終更新日時 : 2023年2月18日 日蓮正宗 真徳寺 1.沿革 1-5<顕正会への改称と化儀改変> こののち妙信講は昭和57年10月9日、日本武道館で10,000人の総会を開き、その名称を「日蓮正宗顕正会」と改めた。しかしその後、平成8年11月18日には宗教法人を取得し、その直後の総幹部会(12月22日)の折り、「冨士 […]
2021年11月7日 / 最終更新日時 : 2023年2月18日 日蓮正宗 真徳寺 1.沿革 1-4<講中解散処分> そこで宗門は妙信講に宛てて、宗門の公式決定違反に対する反省を促し、弁疏(べんそ)の機会を与えて返答を待ったが、妙信講からはその公式決定に従わない旨の返事があった。宗門はこのような経過をふまえてやむを得ず、昭和49年8月1 […]
2021年11月7日 / 最終更新日時 : 2023年2月18日 日蓮正宗 真徳寺 1.沿革 1-3<国立戒壇に固執> この頃、創価学会の言論出版問題が起こり、これに付随して「国立戒壇」という名称に関しても、社会的に大きな問題となりつつあった。そこで宗門は、国立戒壇という名称を使うことは布教の妨げになるとの判断から、昭和45年5月、今後は […]
2021年11月7日 / 最終更新日時 : 2023年2月18日 日蓮正宗 真徳寺 1.沿革 1-2<解散処分の発端> このような妙信講は、やがて宗門より解散処分を受けることになる。その発端の1つに、正本堂の意義について宗門や創価学会と激しく対立したことが挙げられる。 当時、創価学会会長であった池田大作は、正本堂を『三大秘法抄』『一期弘法 […]
2021年11月7日 / 最終更新日時 : 2023年2月18日 日蓮正宗 真徳寺 1.沿革 1-1<妙信講の発足> 妙信講は昭和17年、日蓮正宗妙光寺の総代であった浅井甚兵衛(じんべえ)が、妙光寺講中の1つとして設立したものである。しかし、講の中心者である浅井甚兵衛・昭衛(しょうえ)父子は独善的で身勝手な行動が多く、所属寺院の住職の指 […]
2021年11月6日 / 最終更新日時 : 2021年11月7日 日蓮正宗 真徳寺 1.沿革 1. 【沿革】 顕正会は、かつて「妙信講」と称し、日蓮正宗法華講の一講中として活動していたが、正本堂の意義付けを巡って創価学会と激しく対立し、やがて時の法主であった第66世日達上人の指南に背いたため、昭和49年に日蓮正宗より講中解散の処 […]