2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-15 信仰はなぜ必要なのか 一般に信仰とは、お年寄りが一種の精神修養や先祖を敬うやまいつつ、なごやかな楽しみの場を持つために、お寺へ参詣さんけいし、時には団体旅行をすることぐらいの認識にんしきしか持ち合わせていない人が多いようです。 あるいはまた困 […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-14 信仰をしなくても立派な人がいるではないか まず「立派りっぱな人」とはどういう人を指さすのでしょうか。 一般に「立派な人」という場合は、社会的に指導的地位にある人、名誉めいよのある人、財ざいをなした人、学識がくしき豊かな人、福祉ふくし活動や救済事業に貢献こうけんす […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-13 利益や罰はその人の心の持ち方によるのであって、客観的にあるものではない 人間の幸福と不幸を、線を引いて区分くぶんすることはできません。まったく同じ条件のなかにあって、ある人は自分は不幸だと思う人もいれば、別な人は自分は幸福だと思う場合もあります。ひとつの結果を利益とみるか、罰とみるかはその人 […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-12 現在は信仰するほどの悩みはない、いまの生活で満足だ 「信仰するほどの悩なやみはない」という言葉は、言い換かえると「悩みのない人は信仰の必要がない」ということであり、信仰を正しく理解していないようです。 仏様がこの世に出られた目的は、仏知見ぶっちけんすなわちいかなるものにも […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-11 宗教は狂信、盲信のすすめではないか ここでいう「狂信きょうしん」とは、理性りせいを失い我われを忘れて狂ったように信ずることであり、「盲信もうしん」とは、ひとつの信仰に埋没まいぼつし、わけもわからずむやみに信ずることです。 この狂信・盲信について三つの点から […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-10 信仰をしていても悪い人がいるのではないか 信仰していない人は、よく「信仰をしていても、こんなに悪い人がいるから信仰する気にならない」と言います。 「悪い人」といっても、悪い考えに染そまった人、悪い癖くせを持った人、自分で気付かずに悪業あくごうを犯おかす人などさま […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-9 信仰は老人がするものではないのか 「信仰は年寄としよりがしていればよい」という意見には、信仰に対する無理解むりかいと老人に対する偏見へんけんが潜ひそんでいるように思われます。 正しい信仰が人生にもたらす作用はさまざまなものがあります。その中の主なものを挙 […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-8 自分は忙しくて時間がないので信仰ができない 現代はたしかに忙いそがしい時代です。いまや国民のすべてが時間との闘たたかいにあけくれているといっても過言かごんではありません。 駅の売店で牛乳とパンを流し込んで会社に急いそぐサラリーマンや、何秒と違ちがわない先を急ぎ、無 […]
2021年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-7 信仰は本人の自由意志によるべきで、他人に強要することはよくない たしかに信仰は他人に強要すべきものではありません。また、他人に強要されてできるものでもありません。 日蓮正宗でいうところの折伏しゃくぶくとは、人に信仰を強要することではなく、日蓮大聖人の教えの尊とうとさと、自みずから体得 […]
2021年11月2日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-6 信仰を求めるのは病人や貧乏人ばかりではないか 仏法は、人間が本質的ほんしつてきに直ちょく面めんしなければならない苦悩くのうを解決するために説き明かされたものですから、苦しみ悩む人が救いを求めて信仰に入はいることは当然とうぜんのことです。 信仰を求める動機どうきは、主 […]
2021年11月2日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-5 信仰は意志の弱い人間のすることだ 意志の強い人とは、ひとつの目的に向かって、種々の障しょう害がいがあろうとも、それを乗り越えて行く努力ができる人のことをいい、目的に向かうことは同じでも、途と中ちゅうで挫折ざせつしてしまったり、またひとつのことに長続ながつ […]
2021年11月2日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-4 宗教によらなくても、自分で幸福だと思えばよいのではないか 一般に、どのような境きょう遇ぐうにあっても、人間の幸不幸は所詮しょせんその人の心の持ち方・考え方によって決定されるのだから、宗教に頼たよるよりも、心に〝自分は幸せだ〟と思うことが大切である、という考え方があります。 この […]
2021年11月2日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-3 信仰はもうこりごりだ 現在、日本にはおよそ500の宗教団体があります。 そのなかには、古い歴史れきしと伝統でんとうをもつ宗教から、最近生まれた宗教まで、多種多様たようです。そして、歴史を誇る宗教は、その伝統と古めかしい教義を説き、また各種の新 […]
2021年11月2日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-2 信仰は理性をマヒさせるアヘンのようなものではないか 「宗教はアヘンだ」と言ったのは、かの有名なマルクスです。彼は、当時の退廃たいはい的なキリスト教の姿を見て、宗教は人間にとって現実的な矛盾むじゅんの解決になるものではなく、むしろ現実から目をそむけさせて、仮かりに一時的な心 […]
2021年11月2日 / 最終更新日時 : 2023年2月19日 日蓮正宗 真徳寺 第一節 信仰に反対する人へ 1-1 信仰と名のつくものはなんであろうときらいだ 私たちは、日常さまざまな判断はんだんをしながら生きています。善悪ぜんあくを考えて決断しなければならないときもありますし、損そんか得とくかを考えて行動したり、他人の評価ひょうかを考慮こうりょして行動する場合もあります。 幼 […]