2-4<顕正会が掲げる本尊>

昭和60年3月15日号の顕正新聞に次のような記事が掲載されている。「松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた大幅の常住御本尊7幅と、日寛上人の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。この7幅の常住御本尊とは、28代日詳上人、54代日胤上人、55代日布上人、56代日応上人、60代日開上人、64代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、このうち日布上人の御本尊が高知会館に安置されたのである」

この7幅の本尊について、元顕正会本部職員によれば、

  • 28代日詳上人の本尊:芙蓉会館に安置
  • 54代日胤上人の本尊:法要に使用
  • 55代日布上人の本尊:高知会館・横浜会館に安置
  • 56代日応上人の本尊:顕正寺(顕正会の寺)に安置
  • 60代日開上人の本尊:顕正会本部に安置
  • 64代日昇上人の本尊:未公表

となっている。しかし、顕正会は近年になって地方に会館を次々と建て、それぞれ本尊を安置しているというが、その本尊の出所はどこなのか。顕正会があれほど創価学会のことを悪しざまにいいながら、こと『ニセ本尊』に関してだけは口を閉ざしている理由はここにある。

顕正会が、たとえどこからか本尊を持ってきても、それは血脈の切れた本尊であり、功徳の法水は一切流れ通わない。功徳どころか大罰を受ける所業である。そもそも御本尊の授受に関する権能は、御法主上人唯一人であることを肝に銘ずべきである。

出典:諸宗破折ガイド169-177/宗旨建立750年慶祝記念出版委員会編