2-3<顕正会の「広宣流布以前、本門戒壇の大御本尊まします処は義の戒壇である」との説について>

顕正会は、「三大秘法のうちの本門の戒壇は、広宣流布の暁に初めて建立されるものであり、それ以前に大御本尊が安置せられる場所は、その意義が本門事の戒壇に通じるだけであって、本門事の戒壇とはいえない。したがって、『大御本尊まします処は、いつ何時なりとも本門事の戒壇』とする大石寺の立場は大聖人に違背している」(日蓮大聖人の仏法123)と主張している。そしてその根拠として、日寛上人等の歴代法主上人の指南を挙げているが、そこに不相伝の輩の短絡的な考え違いがある。

日蓮正宗おいては、古来、本門戒壇の大御本尊在すところがそのまま本門の事の戒壇とし、そのうえで、将来に広宣流布が達成された暁に、信仰の根源の霊場として戒壇堂が建立されるとするのである。これが御遺命の「本門寺の戒壇」である。顕正会の引用する御先師方の指南は、この広布の暁に建立される「本門寺の戒壇」についての指南であり、その達成に向かう僧俗の信心を励まされているものである。

日寛上人は『依義判文抄』に、「一大秘法とは即ち本門の本尊なり。此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為し」(六巻抄82)と示され、また『三大秘法之事』の講義においても、「在々処々本尊安置之処ハ理ノ戒壇也」「富士山戒壇ノ御本尊御在所ハ事ノ戒也」(日相上人聞書)と仰せられている。

さらに60世日開上人は御宝蔵説法において、「その戒壇堂に安置し奉る大御本尊今現前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇、真の霊山事の寂光土」と指南されている。近年においては、昭和47年3月26日、日達上人が正本堂の意義についての指導会の砌に、「この本門戒壇の大御本尊安置のところはすなわち事の戒壇である」(大日蓮315-23)と明らかにされたように、本門戒壇の大御本尊まします処が「事の戒壇」なのである。

このことは『日蓮正宗要義』にも、「三大秘法整足の大本尊が真実の事の法体であるから、そのところ即ち事の戒壇である」(113)と教示されている。

そしてさらに、『一期弘法抄』の「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべき」、また『三大秘法抄』の「最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」と示される「戒壇を建立」ということについて、日顕上人は平成5年の虫払大法会において、「本門の本尊、妙法蓮華経の広宣流布が時至って、正道・正理の上に条件的に具備した時、戒壇を建立するところに、本仏の志し給う『事の戒法』が成就するのであります。すなわち、この一切は御仏意であり、これはさらに、のちの『一期弘法抄』に本門戒壇の建立につき、二祖日興上人に遺命されるところであります。したがって、この戒壇建立は、大聖人の御仏意による終窮究竟の厳然たる御指南であり、いやしくも凡夫や一信徒が知ったかぶりして、軽々にロに入れ、論ずべき法門ではありません。もし、そういうことがあれば、これは本仏のお心を踏みにじる大謗法であります」(大日蓮567-45)と御指南された。

このように宗門における「事の戒壇」義は、終始一貫しており、なんら疑義を差し挟む余地はない。顕正会浅井の基本的な誤りは、大聖人の御書の意を自分勝手に判断するところにあるのであり、これは師弟子の道を違える謗法である。時の法主上人が血脈所持のうえから指南・裁定されたことに信順していくところに日蓮正宗の信仰があるのである。

出典:諸宗破折ガイド169-177/宗旨建立750年慶祝記念出版委員会編