1-5<顕正会への改称と化儀改変>
こののち妙信講は昭和57年10月9日、日本武道館で10,000人の総会を開き、その名称を「日蓮正宗顕正会」と改めた。しかしその後、平成8年11月18日には宗教法人を取得し、その直後の総幹部会(12月22日)の折り、「冨士大石寺顕正会」と称することを発表し、現在に至っている。
さらに浅井昭衛は平成9年7月16日、一国諌暁などと称して、『日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ』との書を著し、新聞各紙に誇大な広告を載せて会員を扇動した。
そして平成10年4月、宗門が正本堂に御安置されていた本門戒壇の大御本尊を奉安殿に御遷座(ごせんざ)したことを聞きつけ、顕正会では勝手に、誑惑の正本堂から大御本尊様を守護できたとして「御遺命守護完結法要」を行った。さらに顕正会は、このときをもって新しい時代に入ったとして、勤行式を『方便品』『寿量品』の1座(1回)読誦と唱題のみとし、観念文も改変した。またこのとき、「儀礼室」なるものを設置し、法要執行職員として4名を任命している。
出典:諸宗破折ガイド169-177/宗旨建立750年慶祝記念出版委員会編