1-2<解散処分の発端>
このような妙信講は、やがて宗門より解散処分を受けることになる。その発端の1つに、正本堂の意義について宗門や創価学会と激しく対立したことが挙げられる。
当時、創価学会会長であった池田大作は、正本堂を『三大秘法抄』『一期弘法抄』に示される御遺命の事の戒壇堂であるとの断定発言を行った。その後ことあるごとに、自分が会長の代に御遺命達成・広布達成を成し遂げたという発言を行った。
これに対し、妙信講の浅井は「大聖人の御遺命の戒壇は、天皇の勅宣と御教書(政府の令書)による日本一国総意の国立戒壇でなければならない。またその戒壇は天母山(あんもやま)に建てるべきである」と主張し、正本堂建立をもって「御遺命達成」とする池田に異議を唱えた。
出典:諸宗破折ガイド169-177/宗旨建立750年慶祝記念出版委員会編