1-1<妙信講の発足>

妙信講は昭和17年、日蓮正宗妙光寺の総代であった浅井甚兵衛(じんべえ)が、妙光寺講中の1つとして設立したものである。しかし、講の中心者である浅井甚兵衛・昭衛(しょうえ)父子は独善的で身勝手な行動が多く、所属寺院の住職の指導も受け入れず、戦後の混乱期に法道会(法道院)に所属を変更したが、ここでも問題を起こし、昭和32年に法道会を離反した。そののち宗門より昭和33年1月、妙縁寺所属の法華講として再認可された。

昭和37年に全国法華講連合会が発足されたが、妙信講は連合会に加入することを拒否したため、昭和39年8月19日以降の5年間、総本山に登山もできない状態となった。

出典:諸宗破折ガイド169-177/宗旨建立750年慶祝記念出版委員会編

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