4-9 姓名判断をどう考えたらよいのか

とかくうらないというものは、当たった部分だけがちょうされ、はずれた場合はあまりこだわらない傾向けいこうが強いようです。

なかでも姓名判断はよく当たるという人もいますが、はたしてどうでしょうか。

いくつかあげられた占いのうちひとつでも該当がいとうすれば、当たったように錯覚さっかくしがちですが、うらかえせばそれ以外はみなはずれているということになります。

ある姓名判断の本には、「漢字そのものには命がめられてあって、人の運命をも作り上げる。そしてその運命は名前がつけられたときからスターとしていく」といっています。

しかし、人の運命が名前をつけられたときにスタートするというのでしたら、名前がつけられる前に死んでしまう子供や、生まれながらにしてすでに不幸な境遇きょうぐうのもとに産まれた子供はどのように解釈かいしゃくしたらよいのでしょうか。

また名前によって運命が決定されるならば、同姓同名どうせいどうめい一人ひとりが総理大臣になれば、その他の人も同じ地位につくはずですし、反対に一人が不幸な人生を送れば、同姓同名の人も同じようでなければならないはずです。

これについて、さきの本には、「成功、不成功のちがいは、職業の選択せんたくや環境(人間関係)によってきまる」と弁明べんめいしていますが、職業と環境にめぐまれることが成功の条件だというならば至極しごく当然とうぜんの話にすぎませんし、いまさら姓名判断をまつ必要もないということになります。

これらのことからみても、姓名判断の根拠こんきょが実にあいまいであることがわかると思います。

また姓名判断の方法をみると、画数かくすうによって占うのが一般的で、字画じかくの数え方もりゅうによってそれぞれ違うといわれています。

たとえば、くさかんむりの字画は、三画、四画、六画など、かぞえ方はまちまちですし、さんずいも、三画、四画というようにさまざまです。そうしますと、同じ人を占うにしても画数が違えば当然ことなった判断が出てきますから、これではいったいどちらを信じればよいのか、これほどいいかげんな占いはないということになってしまうのです。

歌手などがデビューする時に、姓名判断の専門家に依頼いらいして、よい名前を選んで付けるようですが、毎年多くの新人が出ても、スターになる人はほんのわずかで、ほとんどは消え去ってしまいます。この現実は姓名判断がいかにあてにならないか、という見本であろうと思います。

人間の一生は姓名によってきまるものではありません。まして改名によって幸福を得られるものでもないのです。

私たちの生命は、三世さんぜにわたる因果いんがの理法にもとづいているのです。現在の果報かほうは過去の因によるものであり、未来の果報は現在の因によってもたらされるのであって、私たちが永遠の幸福を求めるのであれば、その正しい因がなければ絶対にかないません。この正しい因こそ妙法であり、御本尊を信受する以外に真の幸福はありえないということなのです。

出典:「正しい信仰と宗教」から転載