4-5 念力とはなにか

「念力いわとおす」ということわざがありますが、一般には念力といえば、心をひとつにして願うことによって、他者たしゃに対して特別な力を発揮はっきすることを指しています。

ひところいかがわしい念写ねんしゃやスプーンげが話題になりましたが、心という精神作用がそのまま物質に影響えいきょうを与える現象は、現代の物質偏重へんちょう主義の一部の人々に少なからずショックを与えたのかも知れません。しかし念力自体は心のはたらきですから普通の人間でも多少はもっているものですが、だからといって実際に現象を起こせる人がこの世にどれほどいるかといえば、はなはだ疑問ぎもんです。

こうした超能力ともいうべき念力を用いたはなしは古くからあり、たとえば山岳さんがく宗教の修験者しゅげんじゃが念力によって何百メートルもはなれたローソクの火を消したりして、あたかも霊験れいげんあらたかのように人々を思いませる手段しゅだんとしたこともありました。しかしよく考えてみると、このような特殊とくしゅな、しかも見せ物まがいの念力が、私たちの生活や人生によい影響を与えることはなく、むしろ何ら必要としないものです。

では仏教では念力についてどのように説いているでしょうか。維摩経ゆいまきょうなどには成仏じょうぶつ目指めざす修行の障害しょうがい対治たいじする力として五力が説かれています。五力とは信力しんりき精進力しょうじんりき念力ねんりき定力じょうりき慧力えりきをいい、この中の念力とは憶念おくねんの力ということです。簡単かんたんにいえば、仏の教えや本尊・修行などをしっかり心に記憶きおくして忘れない働きです。

また仏典には、「若し念力堅強けんきょうなれば五欲ごよく賊中ぞくちゅうるといえどがいせられるところなし」(教経きょうぎょう)とあり、仏法僧ぶっぽうそうを念ずる力によって、いかなる魔縁まえんにあっても紛動ふんどうされることなく、仏道を成ずることができると説かれているのです。

正しい仏法によって真の幸福を目指す私たちは、迷いの人間による表面的な念力などにまどわされることなく、御本仏日蓮大聖人の教えを心にしっかりたもち、御本尊に日々唱題することが真実の念力であることを知るべきです。

出典:「正しい信仰と宗教」から転載