4-2 悪霊のたたりはあるのか

私たちの生命は永遠であり、生といい死といっても、それは同じちゅう法界ほうかいの生命体の中にあって、一個の生命体として生ずる時と、死して法界に冥伏みょうぶくするときのちがいがあるにすぎません。

かつて、人々は不幸や災害さいがいがあると、それが特別な霊魂れいこん(悪霊)によってもたらされたものと信じ、悪霊をおそれるあまり、これを神としてまつり、そのたたりをしずめようと考えました。

しかし仏法では因果律いんがりつ根底こんていとなって一切の人々の救済きゅうさいが説かれております。すなわち、過去の行為こういが因となってむくい(結果)をもたらすのです。悪い因を作れば必ず悪い果報かほうがあり、善因ぜんいんには善果ぜんかがあるのですが、つい自分の過去の因を知らずに悪い結果を見ると、それをたたりと考えてしまうのです。

たしかに、死後の生命の状態じょうたいが、ときには生きている人に感応かんのうすることもあり、また故人こじんの受けた十界じっかい業果ごうか遺族いぞくなどになんらかの影響をおよぼすこともありますが、それはあくまでも因果いんが応報おうほうによるもので、たたりやのろいとはまったく違うものであることを知るべきです。

その他にも、私たちの意識ではとうてい説明のできない不思議ふしぎ現象げんしょうはたくさんあると思いますが、それらのすべてをきわめることは凡夫ぼんぷの私たちにはとうてい不可能なことです。

ですからこれらのものをむやみに恐れることはあやまりであり、これらを悪用あくようする低級な宗教や思想にまどわされることはみずからの悪業あくごうをつくることになるのです。

私たちは、宇宙法界を貫く成仏じょうぶつの一法である大御本尊を信仰することによってのみ、自分自身はもとより、故人の苦しみを消滅し、共々ともどもに永遠の幸福を築きあげることができるのです。

出典:「正しい信仰と宗教」から転載