4-15 血液型による性格判断などをどう考えるべきか

血液型にかんする本を読んでみますと、統計的とうけいてきなことを主体しゅたいとしてのべられていますからとうを得ているように思われるところもあります。たとえば血液型には本質的に、それぞれの特徴とくちょうがあり、そのあらわれ方によって長所にもなり短所にもなることを示しています。

その意味からいえば、血液型による判断は迷信めいしんとか謗法ほうぼうというにたりませんが、血液型判断をもって人生の根本指針ししんを決定したり、他人の性格や長短を頭からんだりすることは賢明けんめいではありません。

仏法では人生を、因縁いんねんすなわち過去の因と助縁じょえんそして未来の果という一連の流れの上でとらえています。

また、人間もそれぞれ因縁をもって生まれてきます。血液型にしてもみずからの過去のごういんとし、各々の両親という縁によって決まります。その性格も、血液型だけではなく、育った環境かんきょうや教育、その人の生きてきた過程かていなどのあらゆる縁によって違ってくるのです。同じ血液型でありながら正反対の性格の人があったりするのはこれらの縁や過去からの業などによるものといえましょう。

また、どのような血液型で生まれてきても、短所を長所に転換てんかんし、ただしく向上こうじょうするためにもっとも肝要かんようなのは、生命の根源こんげんに作用するところの正しい信仰をたもつことなのです。

日蓮大聖人は、

只今ただいま一念いちねんみょう迷心めいしんみがかざるかがみなり。これを磨かば必ず法性真如ほっしょうしんにょ明鏡めいきょうるべし。深く信心をこして、日夜にちや朝暮ちょうぼに又おこたらず磨くべし。何様いかようにしてか磨くべき、ただ南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、これをみがくとは云ふなり](一生成仏抄・御書46㌻)

おおせです、私たちがどのような血液型であれ、またどのような血液型の人とめぐりあったとしても、それによって性格や相性あいしょうなどが決定されるということではなく、正しい仏法によって錬磨れんまし、修行しゅぎょうしていくことが豊かな人間性と正しい人間関係をきずく道なのです。

出典:「正しい信仰と宗教」から転載