4-11 守護霊や守護神はいるのか

最近、霊能者れいのうしゃ神霊しんれい研究家けんきゅうかしょうする人たちが守護霊などに関する本を書き、そうしたものがベストセラーになったり、マスコミでも取りあげられたりしています。

いま彼らの主張しゅちょうによりますと、人間にはどんな人にもその背後はいごに、守護霊や背後霊がそなわっていて、一人ひとりの人間がどのような人生を生きるかを見守り、霊界れいかいから助け指導するのだということです。

そうしてこの守護霊をないがしろにしたり感謝をおこたったり、また先祖の浄霊じょうれいをしないから、我が身や家庭にわざわいが起こるのだというのです。

しかし我々凡夫ぼんぷには過去世かこせのことや、未来の出来できごと、また死後の世界のことなどを実体験じったいけんを通して明らかにすることはできませんし、また見ることもできません。したがって、ついそうした霊能者の言葉にまどわされてしまう人が多いのです。

けれども霊能者や神霊研究家が、どんなに不思議ふしぎな神霊や霊能の話をしても、それはあくまでも因果いんが理法りほう無視むしした夢想むそう想像そうぞう産物さんぶつであり、仏法の上からみれば彼らのいうようなその人の運命うんめいを支配する守護霊や守護神などというものはまったく存在しないのです。

したがって、実生活における守護の働きについては、委細いさい三世さんぜを知る仏のきょうあおぐべきです。

日蓮大聖人の教えは、おん元初がんじょ以来いらい、末法万年の遠き未来におよ三世さんぜ一切いっさい了達りょうだつされた本仏の教えであり、一閻いちえんだい第一だいいち智者ちしゃ指南しなんなのです。

その大聖人の教えによりますと、三世さんぜ十方じっぽうのありとあらゆる仏、一切の諸天善神しょてんぜんじんはすべて久遠元初の本仏の垂迹すいじゃくであり、従者じゅうしゃであるといわれています。それゆえに、諸天善神は妙法蓮華経の正法を守り、法華経の行者を守護し、正法に帰依する人々の身の上や生活の上に、社会や国土の上に、正法興隆こうりゅうのために、善神ぜんじんとしての働きをれるのです。

法華経には、

諸天しょてんちゅうに、つねほうためゆえに、しかこれ衛護えいごし」(安楽行品第十四・開結396㌻)

きょうたもたんをもってのゆえ諸佛しょぶつみな歓喜かんぎしてりょう神力じんりきげんじたもう」(神力品第二十一・開結515㌻)

と説かれています。

私たちはなによりも妙法蓮華経の本門の本尊を信じ、題目を唱え行ずることによって、一切の諸天善神の守護の力をうることができるのです。

と説かれています。

出典:「正しい信仰と宗教」から転載