6-10 日蓮正宗の信仰をすると、どのような利益があるのか

法華経に、

如来にょらい知見ちけん広大こうだい深遠じんのんなり」(方便品第二・開結189㌻)

と説かれているように、仏の知見と功徳くどくのすべてを書きしるすことはとうてい不可能ふかのうなことですが、経文と御書のなかからおもきょうげてみましょう。

まず分別ふんべつ功徳くどくほんには、

「釈尊の滅後めつごの経(法華経すなわち南無妙法蓮華経)をぎょうずる者は

①本尊を安置あんちする塔寺とうじ建立こんりゅう

僧坊そうぼうなどの修行者の道場どうじょうを建立寄進きしんする境遇きょうぐうになる

正法しょうぼうを修行する人に対して深くうやま供養くようする

④仏法を正しく理解りかいして他の人に法を説くことができる

⑤行動や言葉ことばが正しく清らかになる

⑥正法の善友ぜんゆうにめぐまれる

忍耐にんたいの心が強くなりいかりがなくなる

意志いし信念しんねんかたくなり、周囲しゅうい悪法あくほう紛動ふんどうされなくなる

⑨心が落着おちつき、考えが深くなる

何物なにものにもおそれず善行ぜんぎょうをたゆまず積み重ねる

⑪多くのい教えや知識ちしきを正しくかすことができる

感覚かんかく鋭利えいりとなり、頭脳ずのう明晰めいせきに、智慧ちえは深くなる

難問なんもん解決かいけつする力がそなわる」(開結459㌻四五九取意)

と説かれています。

また随喜ずいき功徳くどくほんには、

「正法を聞く功徳について、

一、正法を説く寺院にもうで、あるいはすわり、あるいは立って、の経をわずかなあいだでも聴聞ちょうもんする功徳は、来生らいしょうには最上さいじょう宝車ほうしゃ天人てんにん宮殿きゅうでんに生まれる。

二、正法をこうずるところに行き、座して聞き、他人に座をかちあたえる功徳は、来生は仏法守護しゅご統領とうりょうである帝釈天たいしゃくてんの座に、また、裟婆世界しゃばせかいの主である大梵天だいぼんてんの座に生まれる。あるいは人間世界の最高統治者とうじしゃである転輪てんりん聖王じょうおうの座に生まれる。

三、他人にすすめてともに法華経を聞く功徳は、来生は聡明そうめいで智慧が深く、健康けんこう身心しんしんととのった美しい容姿ようしをもって生まれ、世世せせに仏に福徳ふくとくを増すようになる」(開結468㌻取意)

と説かれています。

また日蓮大聖人は経王きょうおう殿どのへんに、

「この御本尊を信ずる者は、

病魔びょうま障害しょうがいおかされない

諸天しょてん善神ぜんじんに守護される

③福徳が増して幸福になる

④どんな場合でもおそれることがなくなる

⑤自由自在の境遇きょうぐうになる」

(御書685㌻取意)

と説き、『当体とうたいしょう』には、

正直しょうじきな心で南無妙法蓮華経と唱える人は、

不幸ふこう根源こんげんである悪心あくしん煩悩ぼんのう)が、そのまま仏のような清浄せいじょうな生命(法身ほっしん)にてんずる

②悪い行為こういごう)は、正しい判断はんだんりょくそなえ、仏のような智慧(般若はんにゃ)に転ずる

③苦しみやなやみ悲しみは、希望きぼうにみちた自在じざい境界きょうがい解脱げだつ)に転ずる」

(御書694㌻取意)

おおせられています。

総本山大石寺第二十六世日寛にちかん上人しょうにんも、

「この本尊の功徳、りょうへんにして広大こうだい深遠じんのん妙用みょうゆうあり。ゆえしばらくもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、すなわいのりとしてかなわざるなく、つみとしてめっせざるなく、ふくとしてたらざるなく、としてあらわれざるなきなり」(観心本尊抄文段・歴全5-266㌻)

と教えられています。

大御本尊の功徳は、即身そくしん成仏じょうぶつ境界きょうがいきわまるのですが、そのためには、みずから信心をふるこし、正しい指導しどうのもとに修行しなければならないのです。

出典:「正しい信仰と宗教」から転載