1-15 信仰はなぜ必要なのか

一般に信仰とは、お年寄りが一種の精神修養や先祖をうやまいつつ、なごやかな楽しみの場を持つために、お寺へ参詣さんけいし、時には団体旅行をすることぐらいの認識にんしきしか持ち合わせていない人が多いようです。

あるいはまたこまった時に、神仏の加護かごを求めて参詣し、手を合わせ、がんをかけ、まもふだなどを大事にすることが、信仰だと思っている人もあります。

しかし、正しい宗教を信仰する目的は、一人ひとりの人間の生命の救済、つまり、しょうろうびょう四苦しくや、経済的な苦しみや対人たいじん関係の悩みなどをふくむ、人のいかなる苦悩にも打ち勝つ活力を与え、すべての人々に真実の幸福を築かせ、尊い人生をまっとうするための生き方を教えるところにあります。

したがって、正しい宗教の持つ働きは、たんなる精神修養しゅうようや気安めではないのです。

正しい信仰は、何よりも人間の全生命の問題と、その生き方、人の幸・不幸にかかわる、実に重大な意義と働きと大きな価値かちを持っているのだということを知ってください。

かずある宗教の中にあって、一時の気安めや現実からの逃避とうひではなく、真に一切いっさいの人間の苦悩を喜びに変え、大難を乗り越えて、煩悩ぼんのう菩提ぼだいへ、しょう涅槃ねはんへ、裟婆しゃば忍土にんど寂光じゃっこう楽土らくどへと転換てんかんさせうる仏法こそ、日蓮大聖人の教えなのです。

では、正しい信仰に、どのような功徳がそなわるかといいますと、

  1. 世界中の一切の人々を、真に幸せな即身成仏の境界きょうがいみちびくことができる。
  2. 強盛ごじょうな信仰を通して、御本尊にたくする願いや希望を成就じょうじゅし、また、悩みや苦しみに打ち勝つ金剛心こんごうしんを育てることができる。
  3. 御本尊にそなわる題目の功徳によって、父母を救い、先祖代々の人々を成仏させ、また、未来の子孫しそんをも救済する福徳ふくとくることができる。

などがあり、そのほかにも正しい信仰の功徳はかず多くあります。

日蓮大聖人は、妙法を信受する功徳について、

「南無妙法蓮華経とだにも唱へたてまつらばめっせぬつみや有るべき、来たらぬさいわいや有るべき。真実なり甚深じんじんなり、これ信受しんじゅすべし」(聖愚問答抄・御書406㌻)

と教えられています。

出典:「正しい信仰と宗教」から転載