5-1 いまさら改宗するのはめんどうだ

「めんどうくさい」といって、怠惰たいだをきめこみ「世間体せけんていが悪い」などと、求道きゅうどうの前に、すでにしり込みしてしまうような生き方をしていては、家庭にあっても、職場にあっても、真の職責しょくせき使命しめいたすことはできません。

つまるところ、人生の目的は幸福でありますから、その目的に向って、ひとつひとつ障害しょうがいとなるものを取りのぞいて前進していくべきです。積雪せきせつの中を走る汽車の前進をはばむ雪ははらわねばなりません。雪かきがめんどうだといっていては汽車は前に進みません。

日蓮大聖人は、「なんじ早く信仰の寸心すんしんあらためてすみやかに実乗じつじょう一善いちぜんに帰せよ」(立正安国論・御書250㌻)とおおせられています。また正しい信仰に対する小さな発心ほっしん、ほんのわずかな精進しょうじんが、あとに大きな力となってあらわれてくることを、「小事しょうじつもりて大事だいじとなる」(衆生心身御書・御書1216㌻)とも教えられています。

「親兄弟がなにか言いやしないか」・「親戚しんせきの人が反対しないか」・「上司じょうしや友人が軽蔑けいべつしないか」・「先祖からの墓地があるので改宗しにくい」などと、苦労くろうするよりも、今日の小さな発心が、やがて大きな喜びとなり、功徳くどくとなって返ってくることを確信してください。その喜びと確信をもって、かえって反対しているそれらの人々をも、正法にみちびくことができるのです。

まして、今日の民主主義の社会においては、封建ほうけん時代のように、改宗によって命におよぶほどの迫害はくがいがあろうはずもありません。まったくみずからの意志において、正しい信仰に帰依きえし、実践じっせんすることができる時代です。信仰の自由を謳歌おうかできる現代は、もう周囲のしがらみや、世間体をはばかって過去からの宗教にとらわれているときではありません。「よき人材となろう」・「幸福になろう」という発心の心とともに、敢然かんぜんとして邪義じゃぎを捨てて、正法を実践することがなによりも大切です。

大聖人は、「かなしきかな今度このたびの経を信ぜざる人々。そもそも人界にんがいしょうを受くるものたれ無常むじょうまぬかれん。さあらんに取っては何ぞ後世ごせつとめをいたさゞらんや」(新池御書・御書1456㌻)と仰せられ、せっかく人間に生まれたからには正しい信仰をもって将来の幸福を築くべきであると教えています。

いたずらに無為むいな時間を過ごすことなく意を決し、勇気をもって正法につくことこそが、今、あなたのとるべき道であるといいたいのです。

出典:「正しい信仰と宗教」から転載